私がオッカケを卒業できるまで

私がオッカケを卒業できるまで

オッカケ歴23年目の女子が日々感じたことを綴ります。

オッカケ経歴書~おだいかんの誕生~

皆さん、こんにちは。

 

おだいかんと申します。

人生でオッカケを始めて、23年目に突入した24歳のOLです。

物心ついた時から熱狂的なファンのメンタリティーを持ち、大人になるにつれ、行動力が伴うことで、オッカケを極めてまいりました。

オッカケを続ける中で無駄に分析力と先読み力が身についたため、それを活かして何か発信できないかと思い、今回ブログをスタートいたしました。

これまでもブログを書いたことはあるのですが、なかなか長続きしていないのが本音です(笑)

ですが、この度一念発起して、本気でブログを書いていこうと決心いたしました。

お付き合いいただけますと幸いです。

 

 

まずは私のオッカケ経歴書を。

 

 

〜おだいかん  2歳〜

「駅員さんに渡すやつ、河村隆一に渡したらお家遊びに来てくれるかな?

 

私がファンのメンタリティーを持ち始めたのは2歳の頃。

家族は誰一人興味のないLUNA SEAのボーカル、河村隆一をどこからか見つけ出し、毎日「大好き!」と騒ぎ出します。

 

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街のアイドルショップで売っている表はカラー写真、裏は青と白のモノクロで下にでっかくアイドルの名前が書いてある昔よくあった下敷きの河村隆一ver.を左手に、当時お気に入りだった人形に「河村まやこ」という名前を付け、右手に毎日抱えている2歳児でした。

当時母親はそんな娘を連れて街に出ると「あら、お母さんが河村隆一好きなの?」と聞かれるものの、全く好きではないため、毎回リアクションに困っていたらしい。

そしてある日、衝撃の一言を発しました。

 

「駅員さんに渡すやつ、河村隆一に渡したらお家遊びに来てくれるかな?」

 

母親は驚きすぎて、声が出なかったそうです(笑)

まだ「切符」という言葉すら知らない2歳児がいきなりこんなことを言い始めたので、そりゃあそうです。

相当会いたかったんでしょう、心の中では「結婚したい!」と思っていたと思います。

この河村隆一との出会いが私に初めて「ファン心」を芽生えさせてくれました。

 

 

〜おだいかん  9歳〜

「おばあちゃん!セブンイレブン行ってきて!」

 

河村隆一以降も様々な人を好きになり続けました。

スキー選手の船木選手だの、うたのおにいさんだった新納慎也だの、なんだの、とにかく自分が思うイケメンにはすぐ食いつく子どもでした。

そんな私に第2の転機が訪れます。

2003年、NEWSのデビュー。

そう、あの天下のジャニーズ。

いよいよ出会ってしまった、ジャニーズに。

当時バレーボールのイメージキャラクターを務めていた彼らに釘付けになります。

山下智久

 

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なんてかわいい顔なの。

 

私には5歳離れた姉がいるのですが、姉は内博貴くん、私は山下智久くんにハマります。

デビュー曲「NEWSニッポン」が収録されたCDはセブンイレブン限定発売。

どうしても欲しい。

でも私が当時住んでたのはセブンイレブンが出店していない地域…。

悩みに悩んだ私は横浜に住んでいた70歳の祖母に一言。

 

「おばあちゃん!セブンイレブン行ってきて!そんでもってCD送って!!!!」

 

祖母は驚いていました。

今考えても思います。

70歳の祖母にジャニーズのCDを買いに行かせた孫の無邪気すぎる残酷なワガママ…。笑

でも優しいんです、うちの祖母は。

買って、郵送してくれました。

そしてここから沼がスタートします。

 

初めて行ったコンサートはタッキー&翼の滝翼春魂。

5歳上の姉と2人で行ったのですが、横浜アリーナまで父親についてきてもらい、参戦。

死ぬほど楽しかった…。

この日のために練習した振付も完璧。

本当に楽しくてそこからNEWSのコンサート関ジャニ∞のコンサートにも行きまくり。

ロッコから身を乗り出してくれた小山くんとハイタッチできたことや、たっちょんに手を振ってもらったことは…今でも忘れられません❤︎

ジャニーズでは山P、翼、まっすー、仁くん、たっちょんにハマり、本当に楽しませていただきました…。

チェリッシュの衣装の手袋を作ったり、好きやねん、大阪のエイトくんを作ったり、うちわを作ったり、イッピ袋を作ったり、とにかく推しに気付いてもらうために必死になり、お風呂では毎日振付の練習にハモりの練習と激しくのめり込んでいきました。

ハモりがうまくいかないと姉妹喧嘩になってたな…笑

「ジャニーズ大好き!」な私は中1になり、ある日転機が訪れます。

 

 

〜おだいかん 13歳〜

「お前、眉毛も前髪も無いけど大丈夫か?」

 

13歳になったおだいかんはある1人の友達と出会います。

私は中学受験を経験しているのですが、中学受験のために小学5年生の時から塾に通っていました。

そこで出会った友達なのですが、別々の中学に行っており、久々に会うと、完全なるバンギャに変貌を遂げていたのです。

バンギャとは「バンギャル」の略でして、ヴィジュアル系バンドの熱心なファンである女性のことを総称した言葉です。

私はこの友達との久々の再会をキッカケにバンギャルへとシフトしていくことになるのです…。

(まさかここで2歳の自分に原点回帰することになるとは誰が想像していたでしょうか(笑))

当時流行っていたヴィジュアル系バンドはthe Gazetteアリス九號.、アンティック−珈琲店−、シド、彩冷える−ayabie−、ナイトメア、少女ロリヰタ−23区−、SuGなどなど。

所謂「ネオヴィジュアル世代」。

このあたりはほとんど聴いていました。

が、一番どっぷりハマったのが彩冷えるでした。

 

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当時の私は彩冷えるのボーカルの葵くんがとにかく好きで好きで、必死で追っかけていました。

実際の追っかけのHow toはこの彩冷えるのオッカケの時に学んだと言っても過言ではありません。

インストアイベントと呼ばれるサイン会やチェキ会、ツアーバンドだったので各地で行われるライブ、そしてこれらの移動経路での入待ちや出待ち、すべてをやりきりました。

中学2年生の頃がおそらく全盛期。

お小遣いをとにかく貯めて、家出少女ばりにオッカケをしていました。

ヴィジュアル系の世界にのめり込めばのめり込むほど、ファッションにも反映されていき、私服はパンクロック系に。

髪型もアシメの売れないホストみたいな髪型にし、リョヲ丞が前髪をオン眉にした時には同じ髪型に。

メイクも眉毛は極細で派手なシャドウに目の下にホワイトのアイライン的な。

そんな私に向かって、当時の担任が放った一言が

 

「お前、眉毛も前髪も無いけど大丈夫か?」

 

今考えたら結構ゾッとしますね。

そしてこの頃、リアルな恋愛もしていたので、そんな姿で中学2年生の男の子に猛タックしていた自分に引きます(笑)

でもこのバンギャ時代は後にも先にもないくらい一番楽しいオッカケ生活だったと思います。

一緒にオッカケをする仲間もいたし、オッカケ対象のバンドマンたちとの距離感もちょうどよかったし。

あとはバンギャって本当に色々な人がいるので、人生の勉強にもなりました。

あの3年間は私にとって人生の宝物です。

 

 

~おだいかん 16歳~

「私のイエス・キリストはG-DRAGONです。」

 

そんな私の楽しいバンギャ生活はある日突然終わりを告げられます。

高校1年生の春、私はオーストラリアに1ヶ月間ホームステイに行くことになり、オーストラリアの高校に通いながらHappyな留学生活を過ごしていました。

ある日寝ようと思って、ベッドに入ると、海外用の携帯にメールが届く音が。

「え、親とはもう話したし、なんだろう?」と思って、メールを開くと、当時私がオッカケをする上で一番信頼していたお姉さまからメールが。

そこには衝撃の一文が。

 

彩冷える、終わったよ」

 

なんのことか本当にわからなくて、急いで返信。

海外にいるので、インターネットを繋ぐこともできず、どうすればよいかわからず、とにかくお姉さまから詳細を聞くしかなく、メールの返信を待つこと数分―。

 

「葵くん1人残して、あとの4人が彩冷えるを脱退した。」

 

私の頭の中は?????????????―。

葵くんを残して…????

脱退…????

それは解散じゃないの????

すごく不思議な気持ちになりました。

でもわかったのは、これってなんかボイコットとかストライキとかそういうものと同じで、4人から葵くんに対する意思表示なんだろうなぁ…というのは感じて。

翌日ホームステイ先の娘さんにお願いして、パソコンを借りて、葵くんのブログを検索して、記事を読みました。

5人はいつの間にすれ違ってしまっていたんだろう…と思いました。本当に。

そんなショックがあり、しばらくの間は一人になった葵くんの応援をするために現場に行き、バンギャとしての活動を続けていたのですが…。

やっぱり5人でいる彩冷えるが好きだったので、どこか物足りなさがあって。

ファンも葵くん以外のファンだった子はもちろん来なくなって。

そんなこんなでいつの間にか葵くんのソロ活動の現場にも行くことはなくなりました。

 

「何をオッカケよう…」と悩んでいた私がある日、見かけたドラマがきっかけでここから私の新たなオッカケ人生がスタートすることに―。

 

そのドラマは「美男ですね」―。

イ・ホンギ…!!!!!!!!!!!!!!!

 

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この出会いは衝撃でした。

もちろん主演のチャン・グンソクにもビビッと来たものはありましたが、それ以上にホンギのかわいらしさに…、、、やられてしまった…、、、、

ホンギがFTISLANDというバンドのボーカルだということを知り、そこからFTISLANDのファンに。

海外のアーティストを好きになるのも初めてで、距離感も掴めず…、オッカケもできないだろうなぁ…なんて思いながら、でも「特別なファンになりたい」「認知されたい」なんていう欲求があった私は自分が行く初めてのコンサートの時にある企画を実施。

たくさんのファンの方に協力していただき、「FTISLAND」という名前をつけた星をプレゼントしたりしていました(笑)

(今考えるとこんなことができるのも若かったからだなぁと思います)

FTISLANDのコンサートにはその後も何度か行ったりして、すっかり私の生活はホンギ一色になっていたのですが、そんな時に奴らが戻ってきたのです…。

 

そう、BIGBANG。

色々な不祥事を経て、FANTASTIC BABYで戻って来た彼らに一瞬にして心を奪われていきました。

もともと姉がダンスをやっていたこともあり、ガラガラGO!!で日本デビューしてレコード大賞に出ていた頃から知っていたのですが、「いつの間にこんなにカッコよくなったの…」という衝撃が大きかった。

当時日本のアーティストにはないような音楽のテイストはもちろん、センスあるヴィジュアル、漂うカリスマ性に一目惚れしました。

不祥事があったことはもちろん知っておりましたが、そんなことはもうどうでもいい。

 

「私のイエス・キリストはG-DRAGONだ。」

 

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と心の底から思いました。

そこからG-DRAGONをリスペクトしすぎて、同じ髪型にするために刈り上げたり、ベリーショートにしたり。

ファッションもG-DRAGONを真似て、わりと過激なファッションをしていました。

(ハマるとすぐに外見に取り入れるのが私の習性です(笑))

そして高校生活はG-DRAGON一色に。

でも大学受験を控えていたので、コンサートには行けず…。

大学受験に一応成功し、2つの大学に合格したのですが、どちらに行くかを決める時には「G-DRAGONが来日する時には迎えに行きたいから羽田空港に近い方にする」という謎の判断軸で決め、大学入学を機に上京しました。

大学入学後はキャンパスライフをエンジョイしながら、韓国語の勉強をし、コンサートには行きまくり、羽田空港にも行ったり行かなかったりしながら過ごしていました。

羽田空港に迎えに行きたいからなんて言っていたんですけど、1回言ったら、あまりの人と一瞬の出来事にちょっと萎えてしまったんですよねぇ…。(笑)

そんなある日、私にまた新しい出会いがやってきます。

 

 

~おだいかん 18歳~

「応援の形ってのは金だけじゃないんだよ。」

 

2013年の「BIGBANG JAPAN DOME TOUR 2013~2014」、通称αコンの時だったかな。

ヨンベのWEDDING DRESSを観ていた時に、その後ろで踊っているダンサーに目が行きます。

肩を痛めているらしく、テーピングでぐるぐるになっているのにも関わらず、感情を目いっぱい込めて、表現している彼が素敵過ぎて、一目惚れします。

彼はYG ENTERTAINMENT専属男性ダンサーチームHITECHに所属する方です。

(※写真は控えておきます( ^)o(^ ))

ほとんどの人が知らないと思うのですが、ここ数年はモデルとしても活躍しているので、知っている方もいらっしゃるかもしれません。

当時は本当に知る人ぞ知るみたいなイケメンダンサーで、全然注目も浴びていなかったのですが、本当に踊り方が好きで、私は一目惚れでした。

そこから彼が来日する時は毎回空港に行き、プレゼントを渡し、写真を撮ってもらい、サインをもらい、お話しして、覚えてもらうことに必死な日々を送り始めました。

大学2年生の春には韓国に短期留学に行ったので、その時は毎日大学が終わると、YG ENTERTAINMENTの社屋に行き、ずーーーーっと出てくるのを待っているという日々を過ごしていました(笑)

ちょうど2NE1がカムバしたタイミングだったので、サノクとか番組収録がたくさんあって、練習とか出入りが多くて、めちゃくちゃ会えたんですよね。

毎日会って、お話しして…という日々を過ごしていて(笑)

留学を終えて帰る最後の日に「今日が最後なんだ」ってお話ししたら「まいにちありがとう」って日本語で言われた時には笑ってしまったな(笑)

留学を終えて、日本に帰ってからも会えるチャンスは毎回会いに行き、認知を維持するためにプレゼントをしたりと頑張っていたのですが…。

ファンの扱い方が非常に上手いんです。めちゃくちゃ。

なので結論ファンのカースト争いが激化し、認知の順列みたいな争いが勃発。

日本国内でお子さんを連れてオッカケをしていた方と香港でハイブランドを貢ぎまくってオッカケをしていた方と私の三つ巴の戦いが勃発。

この頃はオッカケ時代の中でもいちばんしんどかったです…。

「誰があげたプレゼントを一番使うか?」

「誰のインスタにいいねしに行くか?」

そんな彼の行動を指標に戦っていました。

彼がインスタに「キャリー壊れた」って投稿したら、誰かがキャリーをプレゼントして、誰かがドニにiPadプレゼントしたら、誰かがiPadケースプレゼントして…。

そんな日々を過ごしているうちに、いよいよ疲弊してきた私は彼にブチギレ。

ファンからもらったハイブランドのプレゼントの認証ショット(「プレゼント受け取ったよ!」とSNSにあげる行為)をインスタにあげたところにコメントしてしまうのです。

 

「応援の形ってのは金だけじゃないんだよ。そんなに金目のものばっかり欲しいんだったらそういう職業にでも就けば?純粋に踊っている姿が好きで応援しているファンはあなたに失望しています。」

 

このコメントを見たであろう彼は私に対する認証ショットをその後すぐに投稿しますが、私は疲弊してしまい、彼のファンを辞めるのでした。

 

 

~おだいかん 19歳~

「“応援”ってこういうことだよな。」

 

上記の彼に振り回される2年間を過ごしていると、ある日一人の女性に出会います。

私はこれまで「女性にはハマらないし、女性にお金を払うことなんてしない。」というポリシーでオッカケをしており、女性アイドルや女性アーティストにハマることはなかったんです。

そんな私がD-LITEのソロコンサート「D-LITE D'scover Tour 2013 in Japan ~DLive~」の武道館公演に行った時、出会ってしまうのです。

YG ENTERTAINMENTの女性ダンサーチームCRAZYの所属する方なのですが、踊っている姿がHappyオーラ全開!!

(※写真は控えておきます( ^)o(^ ))

すごく楽しそうな表情で、全身で楽しさを伝えてくれるその姿に元気とパワーをもらい、「あ、この人を応援したいな」と自然と思っていました。

そこから私は彼女を応援するようになり、公演中の写真を撮影したり、プレゼントをしたり、全力で応援していました。

三者から見ると認知と同じかもしれないのですが、応援する私の気持ちが通じることも多く、前回の彼の時とは違って、応援すればするほど、こちらの気持ちもHappyになるということを感じ…。

これまでオッカケをしてきて、

 

「“応援”ってこういうことだよな。」

 

と初めて気付かせてもらえるのでした。

彼女を応援していく中で就職活動や大学卒業、新社会人と私の人生も変わっていきましたが、どんな時も私に元気とパワーを与えてくれて、私のことも応援してくれる素敵な女性でした。

彼女が現役ダンサーとして一区切りを終えるまで応援していましたが、そこも終えられたので、私のファンとしての役割も終了。

こんなに最初から最後まで幸せなオッカケは初めてでした。

 

 

~おだいかん 22歳~

「神が帰って来るまでに私はお金を貯めて、神のお近づきになる。」

 

幸せすぎるオッカケを終えた私は一気に全てを失うことになります。

彼女が一区切りを終えたことと同時に、私の神であるG-DRAGONが軍隊に入隊することになります。

入隊に関しては何をどうしても避けられないことなので、ずっと前から覚悟はしていたのですが、やっぱりいざ迎えるとどうしていいか悩まざるを得ないものでした。

もちろん大学生活においてメインでオッカケしていたのはダンサーの方々でしたが、毎年BIGBANGのツアーが始まれば、「繁忙期が始まった~」と言いながら全国各地を飛び回る生活を5年も続けて来たわけで。

日々旅行に行くのは我慢しているけどBIGBANGが色々なところに連れていってくれて。

そんな毎日が当たり前になっていた私にとって、それが全てなくなるということがまず想像できませんでした。

でもやっぱり無情にも神の入隊時期はやってきてしまって。

入隊する時に心に誓ったんです。

 

 「神が戻って来るまでに私はお金を貯めて、神のお近づきになる。」

 

高校生の時の私の夢は「起業すること」。教育ビジネスがやりたかったんです。

でも神と出会って、大学生の時の私の夢は「BIGBANGと働くこと」に変わりました。

新卒の就職活動の時は残念ながら、それを実現することはできなかったのですが、「自分に力をつけて、何らかの形でBIGBANGと一緒に働けるようになる」ということが社会人になってからもずっとずっと私の夢でした。

「浮気しないで、神の帰りを待つんだ。」

そんな誓いを立てた矢先に私はまた出会ってしまうのです。

Triple Hに―。

 

Triple HとはヒョナとPENTAGONのフイ・イドンの3人で結成されたユニットでして、もともとヒョナが好きだった私は何気なく見たYouTubeで横にいるイドンに一目惚れします。

 

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理由はただ一つ。見た目がG-DRAGONと同じ雰囲気があることと踊り方がダンサーの彼に似ていたから。

まさしく、ハイブリッド。

とても素敵だったのです。

そこからPENTAGONにハマってしまい、写メ会に行ったり、コンサートに行ったり。

「浮気しない」と決めた気持ちはどこへ行ったのやら…。

ただ、オッカケをしていると、イドンに対して時々感じる嫌な予感―。

「なんかコイツ良くないぞ?やる気がないぞ?」というのをひしひしと感じる。

また今度別途記事を書いていきたいなと思うのですが、彼は芸能界で生きていく覚悟感に欠けているタイプの方だということをすごく感じました。

そんな矢先にヒョナとの熱愛が発覚し、いなくなってしまったのです。

私はその時にもあまり驚きもしなかったし、「ふーん。」くらいだったんです。

「入れているタトゥーのテイストが同じだし、そうだろうなと思っていたよ。」

「イドンはやる気ないから、あっさり認めるんだろうな。」

「“アイドル”って呼ばれることにストレス感じていそうだったもんな。」

こんな感じでした。

 

でもやっぱりショックを受けているメンバーを見るのがすごくつらくて。

特に一番ショックを受けていたキノくんが心配になって。

案の定キノくんにハマっております。(こちら現在進行形です♥)

 

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またキノくんにハマった経緯はもうよく覚えていないのが本音ですが(笑)

彼は本当に本気なんです。

アイドルとして生きていく上で強いプロ意識を持っている。

そういうところに今でもずっと惹かれています。

魅力については今度じっくりお話しさせていただきたい。

 

 

今はキノくん以外にもハマっている人がいて、もうすぐ神様G-DRAGONも帰って来るし、「どうしようかなー。私の人生。いつオッカケ辞められるんだろうなー。」そんなことを思いながら、せっかくならオッカケを辞められる日までを記録していきたいと思い、このブログをスタートすることにいたしました。

 

村隆一▶ジャニ―ズ▶ヴィジュアル系K-POP

という世の中のオタクを結構な年数で経験してきた私が何か皆さまに面白いコンテンツを提供できればと考えております!

「コイツなんか面白いな」と思っていただけたら遊びに来ていただけますと嬉しいです!

 

 どうぞよろしくお願いいたします( ^)o(^ )!

 

 

おだいかん